奨学金を受け取るのは貧乏自慢みたいで恥ずかしい?

カンボジアのボランティアブログを読み漁っていたときに見つけたブログ。奨学金を受け取るカンボジアの子供の気持ちなんてわかってなかった。

これまで自分が経験したこともない立場に立とうとし、その目線でものを考える、というのは確かにムリだ。栗本さん自身,相手の立場にたっていたつもりが、実際には相手の気持ちを全く分かっていなかった、という苦い経験をもっておられた。

寺子屋の生徒に奨学金を手渡す式が行なわれ,その式の後、奨学金を受け取った子どもに言われたらしい。「みんなの前で奨学金を受け取るのはいやだ。毎回貧乏人だということを発表されてるみたいなんだもん」他の奨学金を受け取った子たちにも尋ねると、同じことを言ったらしい。

想像の上だけで相手の立場に立ったつもりになり、同情心から何かを「してあげよう」、という気持ちでボランティアをしてしまう。相手が本当にそれを望んでいるのかもわからないまま。

「してあげている」という気持ちを(自分でも気づかず)持って活動している人は意外とたくさんいるのではないだろうか。

https://web.archive.org/web/20090606022908/https://www.myticket.jp/muaki-rep05.html

これは深い。

たしかに、その様子を撮影することは、ボランティアしている本人や団体のアピールでしかないですね。写真を撮りたいという気持ちは自己満足だ。

結局、本当に相手と同じ目線にならないとわからない。中途半端な支援は、相手のプライドを傷つけることだってあるんですね。

「自己満足でやってます。」「ビジネスでやってます。」ってはっきり言う人のほうが信用できるかもしれない。お金持ちが余ったお金をあげるのも分かる。

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