カンボジア旅行で見たプノンペン託児所の子供たちの笑顔

プノンペン孤児院(託児所)を訪問して、ボランティアの考え方が変わった

その後、プノンペンの託児所へ移動。託児所と孤児院の違いがわかった。託児所に来ている子供には親がいる。孤児院は親がいない子を預かっている。

この施設には親がいる子も親がいない子もいる。ここでは、子供たちにスペースを提供して、ボランティアで勉強を教えている。だから、託児所であり、孤児院であり、学校である。

託児所に入ると、待ち構えた子供達で溢れていた。

キラキラした目に驚いた。

カンボジアの子供の笑顔

お菓子を待っていた子供たちが集まってくる。

お菓子が欲しくて集まってきたカンボジアの子供たち

ボクがここに来たのは完全に冷やかしだ。お菓子をばら撒き、写真を撮る。どう思われているのだろう?

そんなことを考えながら、お菓子をテーブルに並べる。

お菓子を待つカンボジアの子供たち

ボランティアにはネガティブなイメージがある。里親になるために、顔を見て子供を選ぶことなんかできない。

しかし、カンボジアに来て、この状況を前にして、支援している人の気持ちもわかった。

この子達に何かしてあげたい。

そういう感情が僕にも芽生えた。

カンボジアの子供の笑顔
お菓子をもらってみんなご機嫌

本当に嬉しそうな子供たち

自分でも理解できなかった。

ピースするカンボジアの子供たち

子供たちにもみくちゃにされた。

両手を合わせて、「ありがとう」と言う子

「ヨシ!写真を撮ってくれ!」という子

とにかくみんなの笑顔が衝撃的だった。

お母さんと帰るカンボジアの子供たち

しばらくワイワイやった後、みんな帰っていった。

子供たちはお菓子を食べなかった。家に帰って家族と食べるそうだ。

お菓子は贅沢品

家族へのお土産だそうだ。

お菓子を持ってお母さんと帰る最後の子供

お母さんが迎えに来て、一緒に帰る最後の子供

プノンペンの外れのこの土地では、人々の生活はかなり厳しい。だいたい3畳ぐらいのスペースに4人ぐらい住んでいて、シャワーもトイレもない。下水の川の上に住んでいるので、生ごみの異臭が漂う。たまに子供が流れて亡くなるらしい。

ヒイさんは子供達からお金は取っていない。単に広い場所を提供してるだけ。公園のようなものだ。古い滑り台や砂場には近所の子が勝手に入って遊んでいる。

いろいろ考えさせられる1日だった。ボランティアって一体何なんだろう?

正直なところ、僕はボランティアに興味がない。自己犠牲の上に成り立っているボランティア活動には継続性がなくて、「自己満足でしょ?」と思っている。

ボランティア活動をしている人や団体を否定する気はない。応援したい。だが、経済的な心配がゼロになるまでは僕はボランティアはしないだろう。

しかし、子供たちの笑顔が頭から離れない。なんなんだろう、この感情は。

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